2008/10/25

日教組批判


 中山成彬前国土交通大臣の日教組批判は唐突で、その後も、次回の国会議員選挙に出ると言ったり出ないといったりの迷走で、この人の言葉の重みも感じられないし、政治信念を貫いたとも思えないので、お世辞ににも立派だったとは思えない。そこまで言うなら、政治家として今後どのように日教組問題と取り組むかを明確に示してそれに向かってまい進する姿勢を示せば良かったのだ。大体、全国共通試験なんかをやりだして、その目的が日教組潰しだったのに、全然予想と違っていたというのでは、オツムの程度を疑われても仕方がないだろう。そんなことより、今の教育の荒廃を生み出した元凶は、文部省のゆとり教育路線ではなかったのか。中山氏自身がその路線を大きく切り替えたのではなかったのか。これからの具体的な自分自身の取り組みの方向性を示しもせず、日教組を罵倒するだけでは、この人、日教組関係で相当いじめられたんだろうな位の感想しかもてない。

 そんな中、佐々淳行氏の10月21日付けの「日教組よ、まず「自己批判」せよ」はドスの効いた迫力がある。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/188578/
佐々氏の公共教育の荒廃を日教組だけに帰結する批判も、中山氏と大して違わず、日教組のような組織がない諸外国、特にアメリカでも起こっている問題なのに、なぜそんな粗雑な議論になるのか理解できないが、多分そんなことは承知の上のことなのだろう。したがって、ここで私も日教組批判を展開するつもりは毛頭ないし、やっても無意味だろうと思う。

 佐々氏の日教組批判の迫力は次の点にある。

第1は、日教組が文部省の道徳教育に暴力で反対した事実である。昭和33年、全国7つのブロック別に校長・教頭を対象にした「道徳教育講習」が実施されたが、当時の小林武委員長率いる日教組は数千人を動員して実力妨害した。全国7番目、九州地区の別府道徳教育講習には、全国を転戦してきた日教組武闘派2000人が大分県職組、大分全学連と組んで、デモや反対集会を展開した。会場旅館での座り込み、校長・教頭の参加実力阻止と、別府に騒擾(そうじょう)状態をもたらした。

 当時大分県警1300人の警備部隊を指揮したのは、筆者である。

 その渦中で、W巡査部長が日教組の闘争本部に監禁される事件が起きた。筆者は部下のU警備部長らを伴い、警察官の即時解放を求めて、制服で交渉に赴いた。すると、闘争本部では、筆者らを武装解除して人質に、と騒ぎ出すしまつだ。筆者は腕時計をみながら「県警の機動隊には、30分たってわれわれが帰らなければ、突入し、全員検挙せよと命じてある。その時は二宮武夫県議(故人・のち社会党代議士)、貴方に私が手錠をかける」と告げた。間もなくW巡査部長は解放された。

第2は、当時警視庁警備課長だった筆者の息子が世田谷区立小学校で日教組闘士の女性教師Sから、警察官の子というだけの理由で、長時間居残り、立たされるという体罰を受けた事件だ。この教師は授業中、「お父さんが警官、自衛官の子は立ちなさい」と命じた。数人がオドオドしながら立つと、クラス全員に「この子たちのお父さんは、ベトナムで戦争し、学生を警棒でなぐっている悪い人たちです」といい、「立っていなさい」と理不尽にも放課後、夕方まで立たせていた。

 帰宅した息子からこれを聞き激怒した筆者はN校長に抗議の電話をかけた。ところが校長は「相手は日教組、争わない方がよい」と応えた。筆者が「公立小学校で親の職業による差別・いじめ教育と、罪のない子供に『立たせる』という体罰について教育委員会に提訴する」と迫ると、校長は当の教師を拙宅によこした。そして彼女は日教組を盾に、「組織をあげて警察の権力的弾圧と闘う」と息巻いた。

 筆者が「私は一個人の父兄として貴方をクビにするまで闘う」というと、女性教師は突然、床に土下座して「クビになると食べていけない。みんな日教組の指示によるもの」と、泣訴哀願したのだ。

佐々氏自身の体験談が述べられている点で、この迫力には敵わない。どの程度脚色してあるのかは知る由もないが、しかし、これは一方的であり、例えば、W巡査部長の解放の経緯については日教組側にも聞いてみたい気がする。二番目のエピソードについてはもっと不可思議で、なぜ授業中に「お父さんが警官、自衛官の子は立ちなさい」と命じたのかもわからないし、「日教組闘士の女性教師」ともあろう者が「日教組の指示によるものと、泣訴哀願した」というのも俄には信じがたい。論争すれば水掛け論になるのだろう。


| | コメント (0) | トラックバック (0)