2005/11/26

うそつきエッセイストやら政治家やら

 山崎えり子というエッセイストが逮捕された。1998年に「節約生活のススメ」を出して80万部のベストセラーとなった山崎は、カリスマ節約主婦として全国の主婦から幅広い支持を得た。結婚していたが、暴力などを理由に家を出て、離婚手続きをしないまま別居。94年ごろに静岡市内で現在の内縁の夫と知り合い同居していた。印税の確定申告や保険に加入する際に戸籍が必要になったため、別の女性の400万円から500万の借金を返済する見返りに戸籍を譲り受けてその女性になりすましたという。結婚を偽装する理由がよくわからないしそんなことやってもすぐにばれるであろうとも思うが、その程度の知恵しかないのだから本の内容なぞ推して知るべしというものだ。

 山崎は、これまでに20冊以上の著作があり、ベストセラーとなった「節約生活のススメ」の中で「大学卒業後、福祉関係の公務員として5年間、たびたび視察に訪れたドイツで、質素でありながら豊かな暮らし方に感動した」などとしているが、実際には公務員や海外生活をしていた事実はなく「でたらめの経歴を書いた」という。また、逮捕された内縁の夫が交通事故で障害者となり、将来への不安を抱いたことをきっかけに節約を始め、マンションの35年ローンをわずか5年で完済した夫婦愛を最大のウリにしていた。

 山崎の著書6作を出版している祥伝社では、出稿を差し止めたという。ウソで塗り固めた人間の書いた本だから内容は全て疑ってかかるべきで、信じた人がアホウだったんだろうが、著者の正体すら確認せずにこんな本を出した出版社の責任は重大である。

 経歴詐称といえば、小泉ロンドン留学もひどいもんだが、日本を左右する有力者として安部晋三の留学も深刻な経歴詐称問題を孕んでいる。前回引いた藤原肇の小泉純一郎と日本の病理」(光文社)の中の第七章単なる遊学生だった安部晋三の学歴詐称を引用しておこう。

<<引用はじめ>>
 安倍もアメリカに留学した経験を持つ2世議員だが、世界で通用する常識を学んでいないのであり、彼の留学経歴が小泉純一郎以上に怪しいと言われていて、日本の政治家の人材枯渇は救い難い状況diffculty in finding suitable politicianを呈している。
 『週刊ポスト』(2004年2月2日号)によると、安倍幹事長代理はホームページに「南カリフォルニア大学政治学科留学」と公表しているが、UCS (University of Southem California)で単位を取得したのは6つの講座だけで、そのうち3つは外国人向けの英語コースだったいう。しかも、USC広報者担当者によると、安倍音三が政治学科に在籍したことはなく、1978年の春学期から秋学期まで在籍したとはいえ、聴講生auditorみたいな存在だったのである。つまり、専攻majorなどなくて政治学politicsは単位すら取っていないし、「政治学科留学」などマユツバにすぎないのだ。
 ところが、それでも安倍事務所は2年間の留学だと主張し、「USCに78年1月から79年3月まで在籍した。政治学は履修したが途中でドロップアウトしたので、記録が残っていなくても留学はあった」と答えている。
 私はかつてロスの近郊のマリブMalibuにあるペパーダイン大学で総長の顧問をしたので、日本人留学生Japanese students in Americaの実態については私なりの見解を持つ。そこで私見を述べると、そのような留学は「遊学」play abroadというのであり、本来の留学study abroadは単位を取って成果を上げる努力を指す。
 カリフォルニアは日本人留学生の多い土地だが、そのほとんどがこうした「遊学生」か「語学留学生」である。女子学生の中には変わった出稼ぎもいて、アジア人向けのマッサージ・パーラーやエスコート・サービスで稼ぐために、学校に登録して学生ビザをもらう者も多く、そんな者まで含めて「留学生」などと言ったら、日夜勉強に励んでいる真面目な留学生が気の毒である。
 そこで、問題になるのが、安倍がなぜこのような怪しげな遊学をしたのか?そして、それが単なる遊学だったとしても、現在の彼にどのような影響influenceを与えているのかということであろう。
<<引用おわり>>

 このあとに、安部の遊学当時のカリフォルニアの状況、暴力団、韓国との関係などが述べられており、彼の北朝鮮強硬姿勢の理由との関わりが論じられている。

 山崎某なんぞよりも、こういう重大問題に体を張って取材するジャーナリストはいないのか。

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2005/11/18

shame on you...

 石原慎太郎が皇室の結婚式の祝辞で「ベルグソンが結婚とは賭けだと言った」と曰うたことについて、ベルグソンの研究者がそんなことを言ったのは聞いたことがない、と言っているらしい。別の学者は「パスカルが信仰とは賭けだと言った事を勘違いしているのではないか」という。この祝辞の一節がテレビで流れた時に、まず太陽の季節の著者の石原慎太郎とベルグソンが結びつかず意外に思った。さらに、ベルグソンがそう言ったということも「へー、彼もソクラテスばりに悩んだのかな」と意外に思ったのだった。多分、石原の勘違いであろう。それにしても、エライ人が日本全国に向けて放った間違い発言に突っ込みを入れられた時にどう対応するのか、興味津々である。過ちを改むるに憚ることなかれ、だと私は思うけれども。

 同じエライ人の間違いで救いようがないのが小泉の発言である。ブッシュが日本に来て嬉しがっているのは単純な性格からそうだろうと思うが、金閣寺に連れて来てツーショットでのニコニコ発言には呆れてしまった。天気が良く、日差しに金閣寺と紅葉が映えているのだったが、記者団に向かって「今日は天気がいいから。サン、(なんだっけ)サン・ライジングか」というようなことを言った。違うだろう、日はもう登っているんだよ。The sun is shining.だろう。こんなこと、今どき、中学生でもちゃんと言える。続けて、多分、日出づる国、と言いたかったんだろうが、「サン オブ (なんだっけ) サン カントリー (略) あはは」。見ていられなくてチャンネル変えてしまった。こんなことしか思いつかず、しかもこんな事すら英語で言えない。こんな程度の英会話力で本当にブッシュと親しく語っているのかとても信じがたい。

 そのこと自体も我が国の首相がこの程度ということで非常に恥ずかしいが、問題はそれだけではない。彼のprofileでは英国に留学となっている。所が、この留学というのがとんだ食わせ物らしい。事の経緯が藤原肇の小泉純一郎と日本の病理」(光文社)の第二章隠された過去の中 に詳しく紹介されているので引用しておこう。これを見れば、なぜ英語を喋れないのかその理由がよくわかる。

<<引用pp.71〜75>>
 さて、私は後になって知ったのだが、小串さんとの対談が記事化play upされるのと時期を同じくして、ニューヨーク市立大City University of New Yorkの霍見芳浩教授が、連載コラム(2002年6月13日号『日刊ゲンダイ』の「ニッポンを斬る」)の中で、この問題に触れていた。このコラムは、「歪んだ日本の情報公開」と題して、最後の方に次のような記述があった。

〈小泉首相の後見人が森「神の国」喜朗前首相だが、ある雑誌が同氏が大学生時代に買春で逮捕された動かぬ証拠を公表した。すると、森氏は司法官僚と共謀してこの雑誌を訴え、東京地裁は森氏に偽証を許して、同氏の勝ちとした。また、森「オットセイ」氏の弟子の小泉首相の暗い影を英米の諜報機関は握っている。同首相の「ロンドン遊学」の真相は、ある女性に対するハレンチ行為が警察ざたになるのを恐れて、父親の防衛庁長官(当時)が英国にほとぼりがさめるまで逃がしたものらしい。しかし、日本のメディアはこの真相追及はしない。今、こんな及び腰のメディアをも封じ込めるのが個人情報保護法である。〉

 私と霍見さんは友人として本や記事を交換する仲なので、お互いにそれで情報を得た可能性 possibilityもあるが、「小泉の暗い影を英米の情報機関が握っている」というのは、私には初耳quite new to meだった。
 さらに、私はその後、日本を訪れるたびに、各方面からこの件に関する情報を得た。それらをまとめると、

・慶大生時代の小泉が女学生と問題を起こし、横浜で警察の取調べを受けたという話は、当時から地元の横須賀ではよく知られていた話であり、多くの人が噂の存在を肯定していること。
・事件は1967年4月頃に起きたこと。そして、その直後に、小泉が留学の名目でロンドンに行ったこと。
・閣僚だった父親が政治力political influenceで事件をもみ消し、ほとぼりが冷めるまで海外に出したと当時から噂されていたこと。

 という具合になる。
 しかし、これらの噂は、日本のマスコミの中で多くの人間が知りながら、今日まで誰も調査報道investigative reportingせずに放置され、政治家につきもののゴシップgossipで済んでいたのである。
 また、ある大手新聞の社会部記者による情報では、代議士になって数年目にも暴行事件assaults on womanが起きており、それは示談a private settlementによって和解reconciliationが成立したというものもあった。さらに、小泉の先輩に当たる慶応大学のOBから聞いた話では、暴行事件の和解には飯島秘書官が関与しており、それから飯島秘書官の立場が急に強くなったというのであった。

<<中略>>

 小泉の「留学疑惑」は、「レイプ疑惑」を考慮しなければ、実に単純なものだった。要するに、各種のデータに相違点が多すぎたのである。興信データ社刊の『人事興信録』では、「1968(昭和43)年ロンドン大政経学部に留学」とあり、東京大学出版会刊の『日本近現代人物履歴事典』では、「1967(昭和42)年7月ロンドン大政治学部留学」となっていて、1年もズレている。さらに、小泉事務所は、「首相は慶応大卒業後の1967年から、父親の急死で衆院選に初出馬する1969年までロンドン大学政治経済学部に留学していた」と説明explainしIているのだから、これを確定する必要があった。
 もちろん、これは当事者であり、日本の最大の公人public offcialである首相本人の最低限の義務minimum dutyである。
 したがって、この件で力を発揮したのは週刊誌メディアであり、とくに『週刊ポスト』は再三にわたって追及し、2004年2月9日号の記事で、「小泉首相がロンドン大に学生として登録されていたのは1968年から69年6月20日まで」と確定させた。つまり、彼が1967年に離日したとすれば、ほぼ1年間「遊学」した後にロンドン大学に行ったことになる。
 しかも、そのロンドン大学留学もまた、「留学」study abroadではなく、ただの「遊学」play abroadであって、政治家が履歴書に書けるような代物ではなかった。『週刊ポスト』(2004年2月27日号と3月5日号)が下した結論は、次のようなものである。

〈小泉首相が初挑戦した1969年12月の衆院選挙の際の選挙公報、初当選した1972年12月の衆院選挙の選挙公報に届出されていた小泉首相の履歴は、「慶応大学卒。ロンドン大学政治経済学部留学」とあるが、これは虚偽記載に当たる。なぜなら、ロンドン大学(UCL、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)には政治経済学部はないからである。ロンドン大にはいくつかのカレッジがあり、政治経済学部といえば、一般的にロンドン大学政治経済学院を指し、優秀な学生が集まることで知られているが、小泉首相が在籍したのはここではない。小泉首相は、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大)の経済学部に1年足らず聴講生のような形で遊学していただけにすぎない。〉

 ここまで書かれれば、そして、これが事実で常識がある人間なら、虚偽を認めて謝るのが普通である。しかし、小泉がしたことは驚くべき破廉恥なことであった。すでに、読者は承知しているだろうが、彼はロンドン大学(UCL)のマルコム・グラント学長Prof Malcom Grantを日本に招いて会見させ、「小泉首相は正式の学位degreeを取る学生ではなかったが、1960年に与えられた外国人留学生intemational student向けの単位を取っていた」「小泉首相は伊藤博文以来、わが校出身の2人目の日本の首相だ。ぜひ、名誉教授professor emeritusになってほしい」などと言わせたのである。
 もし、心あるジャーナリストが日本に存在するなら、小泉事務所がロンドン大学に対して、どれほどのコントリビューションcontributionをしたのかを調べてほしい。

<<引用終わり>>

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