2007/07/22

重すぎる刑

http://www.asahi.com/national/update/0721/TKY200707200588.html


知的障害ある息子殺害の母に懲役7年 東京地裁
2007年07月21日00時34分

 東京・日比谷公園で知的障害のある息子を刺殺し殺人罪などに問われた母親が20日、東京地裁で懲役7年の判決を言い渡された。母親は自らの生い立ちを我が子に重ね合わせ、「かわいそうだから」と殺害の動機を法廷で語っていた。「経緯には多分に同情の余地が認められる」。青柳勤裁判長はこう言いながら「自らの思いこみから息子の将来を一方的に悲観し、殺害した。独りよがりのそしりはまぬがれない」と述べた。

 母親は埼玉県川口市の無職 被告(52)。昨年6月10日夜、小学5年の次男翔君(当時10)を果物ナイフで刺殺し、自らも自殺を図ったが死ねなかった。

 判決などによると、横山被告は、母子家庭で育ち、9歳で母と死に別れた。軽い知的障害があり養父母から虐待を受けた。結婚して2男2女をもうけたが、夫は借金を抱えて失跡し離婚した。

 次女は1歳7カ月で髄膜炎で亡くなり、重いぜんそくだった長女も16歳で死亡した。生活保護を受けながら総菜屋などで働き、知的障害のある2人の息子を育てたが、次男の翔君は小学校に行きたがらなくなった。「いじめを受けている」。そう思いこみ、悩んだ。

 「死ぬ前に一度乗せてやりたい」。2人は新幹線で新潟の温泉宿に向かった。翌朝、睡眠薬と缶酎ハイを翔君にも飲ませ、山中で死のうとした。翔君が眠らなかったため新幹線で東京に戻り、日比谷公園を目指した。

 夜になり、眠りについた息子をベンチに寝かせた。「翔君、ごめんなさい」。果物ナイフで胸を突き刺した。

 「翔と自分とはイコール。ああするよりほかにありませんでした」。公判で殺害の理由を問われた被告はこう述べた。

 検察側は懲役13年を求刑した。弁護人は「被告の身に起きたことは一人の人間が抱えることができる許容量をはるかに超えている」と訴えた。

 「喜びや楽しみ、悲しみや苦しみも含め人が生きていく上で経験するであろうことを翔君も経験できたはず。これを奪う権利は何人にもない」

 裁判長の言葉を、横山被告はじっと法廷の床を見つめながら聞いた。


この記事を涙無しには読めない。
友人はこう感想を漏らした。


障害をもつ子どもを親だけで抱えていくには限度があるとお思います。
家族の支援もなく、経済的にも苦しく、母親も障害があると言う条件で起きた事件ではないでしょうか。
母親だけの責任ではなく、公的機関が支援、援助が出来なかったことも問われるべきだと思います。



私たちには計り知れないくらいの生き地獄を味わってきたのではないかと思います。
知的障害がなければ、早い時期に精神がまいっていたでしょう。
親がこの命を奪う権利がないこと、冷静に考えれば分ることでも、追い詰められれば・・・。辛すぎます。


「自らの思いこみから息子の将来を一方的に悲観し、殺害した。独りよがりのそしりはまぬがれない」、「喜びや楽しみ、悲しみや苦しみも含め人が生きていく上で経験するであろうことを翔君も経験できたはず。これを奪う権利は何人にもない」、という判決の根幹を、裁判長は本当にこの被告の置かれた情況を理解できて言っているのだろうか。


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2007/05/26

光市母子殺害事件の弁護団

人権派・死刑廃止論者の主張は、詭弁を弄しているのかを通り過ぎて、頭がおかしいとしか思えない。

http://www.j-cast.com/2007/05/25007937.html


被告は、自分が中学1年のときに自殺した母への人恋しさから被害者に抱きついた。甘えてじゃれようとしたので強姦目的ではない。騒がれたために口をふさごうとしたら誤って首を押さえ窒息死させた。死後に遺体を犯した行為は、生をつぎ込み死者を復活させる魔術的な儀式だった。長女は泣きやまないので首にひもをまいてリボンの代わりに蝶々結びにしたら死んでしまった。どちらも殺意はなく、(殺人より罪が軽い)傷害致死罪に当たる。


一、二審で出てきもしなかったことを持ち出している。一体何のための主張なのだろう。目的が死刑廃止なら、説得力のある主張と正当な手続きによる死刑廃止運動を展開すべきなのではないのか。このような、でたらめな弁護をすればするほど、その主張は一般から乖離し、死刑廃止が遠のくのではないのか。

被告の弁護というお題目なのに、弁護になるどころか死刑判決へ加速さえしているではないか。


ばかじゃないの。

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2005/12/20

大阪の姉妹殺人事件の犯人

 11月、大阪市浪速区のマンションで姉妹が刺殺され室内が放火された事件を自供した山地悠紀夫 (22) は、中学時代、卓球部に入っていたが、2年生の後半からほとんど登校しなくなり、卒業式にも出なかった。元同級生らは「友達付き合いはうまくなかった。小学生のころから切れやすく、短気で何をするか分からない感じがした」と話す。

 16歳の時、2人暮らしだった母親(当時50歳)を金属バットで撲殺していたことが報じられている。山口県警の調べに「母親が借金をし、使い道を尋ねても、教えてくれず、カッとなった」と供述。交際を望んでいた女性に母親が無言電話をかけたことも動機に挙げたという。山口地検は2000年8月、「悪質な犯行」として、検察官送致(逆送)を求める「刑事処分相当」の意見書を付け、山地容疑者を家裁送致した。山口家裁は翌月の少年審判で、家庭環境なども考慮し、「矯正は十分可能」と判断。逆送せず、中等少年院送致の保護処分を決めた。その約3年後2003年10月に仮退院,2004年3月に本退院した。

 山地容疑者は当初、地元のパチンコ店に勤めたが、人間関係などが原因で全国各地の店を転々とした。最近ではパチスロ機の「ゴト師」グループに出入りし、パチスロで生計を立てていたという。今年3月には岡山県のパチンコ店でのゴト師行為で窃盗未遂容疑で逮捕されたが、起訴猶予。その後、山地容疑者は7月上旬大阪で生活するようになり、姉妹殺害事件後も、現場近くの公園や神社で野宿していたという。

 毎日新聞によれば、2005年版犯罪白書によると、2000年に少年院を出た者のうち17%が再び少年院に戻り、9%が刑務所に入っている。刑務所からの出所者の45%前後が5年以内に再び刑務所に入っていることと比べれば再犯率は低い。ただ、少年院退院者の就職決定率は男子32%、女子5%に過ぎず、再犯防止に就職先を確保することが課題として浮上している。また、少年院の教官を対象に実施した調査で、73%の教官が「最近、処遇困難な少年が増えた」と回答している。

 現時点でのマスコミの論調は大半は、再犯という視点でこの事件を捉えているようだ。しかし、あるテレビ報道番組によれば、中学時代のこの犯人の家庭は、父親が飲んだくれて母親に暴力をふるい、職業も無く母親の収入のみで生活していたという。あげくに父親は病死、その後少年は新聞配達をして家計を支え、母親はその事に感謝していたという。近所の人の話によれば、父親の葬式の時に家の中に食器がなにもなく、持ち寄って葬式を出したのだという。父親が投げて全て割ってしまったからだった。その後どういう経緯で、母親が借金をし、自分の彼女に無言電話をかけるようになっていったのかは分からないが、母親をバットで全身をめった打ちして撲殺する結末は悲惨というしかない。言葉で単に矯正するなどという生易しい状況ではなかったことは確かである。

 山地容疑者に殺された都会の片隅で生きていた姉妹もだが、この容疑者も救いようが無く憐れである。暗い気持ちに沈んでしまう。

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2005/12/03

栃木女児殺害の情報や通学方法

 栃木県今市市の小学1年の女の子が帰宅途中で行方不明になってから23時間後の2日、自宅から60キロも離れた茨城県常陸大宮市の山林に、殺害されて捨てられていた。胸に数箇所の刺し傷があり、衣服を付けていなかったとのこと。遺体発見場所は、県道から車1台が通れるほどの林道を約200メートル入った、ほとんど人通りのない場所。発見したのは野鳥捕獲(別の報道では保護と言っていたが)のために通りかかった3人連れの男性ということであった。

 例に違わず、この場合も前日に不審な男の目撃情報ありで、自転車にのった40代の頭ボサボサのきつね目の自転車に乗った男から声をかけられた、という情報が報道された。自転車ということなので、多分違うだろう(その後の報道では折畳み自転車ということなので、可能性はある)。こういう事件の場合、必ずこのような情報が流れてくる。広島女児殺害事件の場合も、黒い軽自動車に乗った男二人とか、榊原事件でも小学校校門の上に被害者の頭部が発見された時に、早朝付近で黒いビニール袋を下げた男の目撃情報が報道された。何れもその後のフォローはなかった。警察が犯人確保のために陽動的に情報を流しているのかもしれない。

 広島の事件後、この学校では防犯ベルを持たせるなどの対策を取ったようである。今回どうなのか知らないが、この種の性犯罪絡みの殺人事件は、ほとんどの場合犯人は顔見知りで、事件発覚を恐れて殺害するということだったと思う。こういう場合、警報ベルなどほとんど役に立たない。また人通りが多い所なら警報で駆け付けてくれる人もいるだろうが、人通りのない所では防犯ベルの効果はほとんど期待できないだろう。

 10年ほど前のアメリカでは、かなりの数の子供が毎年行方不明になっており、牛乳パックなどにmissing children の写真を印刷して探したりして大きな社会問題になっていたが、最近はどうなのだろう(2000年に37000人という報告がある)。そういう国だから幼い子が一人でテクテクと長い道を学校に通うなどということはありえない。子供がいなくなったと通報すればパトカーが飛んでくる。アメリカで暮らしていた時には、アパートから小学校まで車で20分、スクールバスは朝6時半に乗らねばならなかったのと、私の子供達がちゃんとバスを使えるのか心もとなかったので、自分で送り迎えをやった。千円程度の役に立たない防犯ベルなんかで済まさないで、スクールバスなどによる送り迎えなどの本格的な対策を立てるべきだろう。(2005.12.4修正)

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2005/12/02

広島女児殺害事件容疑者にペルーで服役歴

 広島市小1年殺害事件で逮捕されたペルー国籍のピサロ・ヤギ容疑者(30)は、接見した弁護士に、自分が殺したことは認めているが、自分が知らない間に悪魔が乗り移ったとか下手な言いわけをしているようだ。知らないのだったら、なぜ段ボールに入れて遺棄したのか、ランドセルを別の場所に捨てたのか、なぜ逃げたのか。今度はどんな言いわけをするのだろう。これまで分かった事件の経緯は以下のようである。

<<讀売>>
 11月22日午後、自宅アパートの階段そばに座っていたところ、女児が通ったため、スペイン語で「オーラ(こんにちは)」と声をかけ、日本語で名前を聞いた。しかし、女児が何を言ったのかわからず、「気がついたら、女児が死んでいて、びっくりした。どうしたらいいのかわからなかった」と述べた。

 その後、階段の上がり口に女児の遺体を置いたまま、ガスコンロの段ボール箱を取りに自室に戻った。女児の遺体を箱に入れたあと、素手で箱を持ち、アパートのすぐ裏の空き地まで歩いていき、捨てた。靴下も両方、箱に入れた。ランドセルは自転車でJR矢野駅近くまで運んで捨てたという。

 ピサロ・ヤギ容疑者は、女児とは初対面といい、いたずら目的を否定している。その一方で、首を絞めたことについても自覚しておらず、「だれがしたんだろう」などとあいまいな話をしているという。
<<2005年12月2日0時51分>>

 さらにこの男、いろいろ埃が出て来ている。

<<讀売>>
「ピサロ・ヤギ容疑者、さまざまな偽名使った可能性」

(ペルー外務省のエテル・フロレス)報道官はピサロ・ヤギ容疑者が、日系人を装って来日した可能性も否定できないとして、身元確認のため同容疑者の顔写真や指紋の提出を日本側に求めるよう東京のペルー総領事館に指示したことを明らかにした。

 同報道官によると、数か月前、「フリオ・セサル・ピサロ・ヤギ」の名前で東京のペルー総領事館に在留届を提出した男がいた。総領事館が本国に照会した結果、この名前の人物は存在せず、在留届は受理しなかった。一方で、男が「ピサロ・ヤギ・フアン・カルロス」「ロベルト・フランク・ピサロ・バルガス」の名で2重に住民登録した人物と同一であることがわかったという。どのような情報を基に在留届けを出した男と同一人物と判断したのか、なぜ2重登録が可能だったのかについては説明しなかった。
<<2005年12月2日0時46分??読売新聞>>

さらに、

<<讀売>>
「ペルーで少女暴行、ピサロ・ヤギ容疑者に服役歴」

ペルーの複数のメディアはピサロ容疑者が1997年にペルー国内で少女に性的暴行を加え、服役した前歴があると報じた。同容疑者の故郷、ペルー北部グアダルーペの住民の証言などとして伝えたもの。

 有力紙「エルコメルシオ」(電子版)によると、ピサロ・ヤギ容疑者は出所後、再び別の少女に性的暴行を加えようとした。同容疑者の本名は「マヌエル・トレス・ヤギ」だったが、性犯罪の前歴を隠してペルーを出国するため、名前を変えたという。

 また、コレオ紙によると、実在しない住所を使って住民登録も行い、これを使って日本へのビザを取得したという。
<<2005年12月2日1時48分??読売新聞>>

 状況証拠はいろいろ揃って来た。こういうアブナイ輩をどうすべきなのか。またまた、「不良外国人」問題が浮上するのだろう。

 この件の報道で気になったのは、民放のテレビ局が逮捕前に執拗にこの容疑者に接触していたことである。段ボール箱で問題となったガスコンロがあったとか、目撃者がいたとかでアタリを付けていたのだろうが、部屋まで上がり込んだり、通訳を連れて三度も来たり、まるで刑事の聞き込みまがいである。また、自供する前に、恐らくは全てのメディアが名前など個人情報を垂れ流していた。松本サリン事件で懲りたのではなかったのか。

【追記】
このピサロ・ヤギ容疑者は本名がホセ・マヌエル・トレス・ヤギであることを弁護士に認めた。さらに、ヤギ容疑者の故郷を管轄するパカスマジョ区刑事裁判所は、同容疑者が過去3回にわたって少女暴行未遂事件を起こし、1992年、94年、95年の裁判記録が残されていることを明らかにした。また、1992年の女児への暴行容疑で取り調べられた際にも、「悪魔が自分の中に入ってきた」と供述していたという。この後、偽名を使って服役を免れたらしい。本名ではパスポートを取れなかったので、3年前、偽名を使って4000ドルでパスポートを買ったという。1974年12月生まれも嘘で、1972年2月3日生まれで、33歳である。日本への渡航目的も、ペルーにいられなくなったからではないのか。とんでもない野郎である。(2005.12.04)

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2003/02/19

クソガキは死刑にすればいい

被害者父親が被告少年殴る/森屋さん暴行殺害初公判というニュースが報道された。

公判の事件の概要は
「2002年11月、沖縄市内の路上で、特別養護老人ホームアルバイトの森屋雄一さん=当時 (19)=を暴行し殺害したとして、傷害致死などの罪に問われた元石油配達員のA被告と 高校生B被告=当時共に沖縄市内、17歳=の初公判が17日午前、那覇地裁沖縄支部であった。 起訴状によると、A、B両被告は、C少年と中学1年の女子生徒の計4人で、11月8日未明に 沖縄市海邦町の路上で、森屋さんの胸や腹を拳で殴り、太ももを足で何度もけった上、木の枝で 背中を殴打するなどの暴行を加え、全身打撲傷に基づく出血性ショックで死亡させた。 この事件は、養護学校を卒業後、自立に向かい福祉施設で働く被害者に対し、少年らが 「遊ぶ車がほしい」などとの理由で、暴行し殺害するという事件だっただけに、大きな波紋を広げた。 初公判で、犯行当日の詳細な状況についての検察官の朗読が始まり、何度も借金をするよう 執ように迫る悪質な犯行の様子が明らかにされ始めた直後だった。

 傍聴席2列目に腰掛けていた 被害者の父親は、とっさに席を立つと、さくを挟んで背を向けて座っていた主犯格の少年の後頭部を 握り拳で殴った。」というもの

 家族の心境を検察官は「雄一がどんな悪いことをしたのか」「(被告人が)生きて いる間はどんな事があっても許しません」と明らかにした。

 私の長男は知的障害を持っているが、彼がもしこういう事件の被害者になったら、やはり 犯人を許さないだろうと思う。それがいかに虚しいことであろうとも、長男の生きてきた 道のりを思い出す度に、犯人への憎しみが思い出され、胸が苦しくなるであろう。アメリカで、幼い男児を誘拐し性的虐待を続けていた男が捕まり、裁判所で父親に射殺され た事件を思い出した。新潟の同様の事件の時にも、親御さんの無念を思うと怒りが収まらなかった。

 それにしても、自分の欲求を満たすためにこういう弱者を襲うという事件があまりに 多すぎるのではないか。何か、社会の根っこが間違っているのではないか。 くそがきどもを糾弾するページ を見るとその思いを一層強くする。

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